某ファンサイト様でTOKIO結成(前身である“城島茂バンド”時代も含め)からデビューにかけての軌跡と考察をまとめて下さっているのを読んでいて、今更ながらの疑問。

ダンスの才能に恵まれていた山口さん(太一さんもだけど)。
かなり最後までTOKIOの正式メンバーでは無くて、茂さんの社長への直談判によりTOKIOに加入することになったわけですが。
ダンスグループとしてデビューする道もあったかもしれないのに、バンドとしてのデビューを何で選んだんだろう?

あと、茂さんと出会ってから、例のエイプリルフール事件まで2年くらいしか無いわけですが。
たったそれだけの短い期間でそこまでの絆を築いたのが凄いなぁと今更ながらに思いました。