震災

東日本で起きた大震災から1ヶ月が経ちました。
あっという間に経ってしまったな、と思う。


当日。
テレビで津波をずっと見ていました。
上空からの撮影では津波はあまり高く無いな、というの第一印象。今思うと、堤防を乗り越えた時点で水位がかなり上がっていたんだよね。
沿岸部だけかと思ったら、どんどん内陸に押し寄せる様子がとにかく不気味だった。
畑の上を這うように進む津波
人や車に津波が近づいてくる度に「早く逃げて!」とテレビに向かってうわ言のように呟いた。
冷静なNHKのアナウンサーですらも「早く……ああ……」と言葉を失っていたのが印象的だった。

最初の報道では、流された人の数は十数人ほど。

私は海の無い県に住んでいるけれど、地震津波というイメージが何故か強い。
だから、海のある県の人なら尚更そうじゃないかと。地震が起きたらすぐに高台に逃げている筈だから大丈夫、と思っていた。

でも、数時間後に、死者数百人という報道を知って「嘘でしょ?」って思った。
嘘でしょ?みんなすぐ逃げたでしょ?津波の怖さ知っている筈なんだから大丈夫、と思った。


でも翌日。


ビルが丸ごと津波で濡れている姿を見て、これは無理だったんだな、と思った。

ちゃんと逃げた人も、10メートル以上の高さの津波が来るとは思わないものね。


正直、ここまでは他人事だと思っていた。
原発事故も他人事だと思っていた。新潟の原発が停止した時と、さして状況は変わらないと思っていたから。

まさか、関東の電力の多くを福島が担っていたなんて知らなかったから。
自分が食べている野菜の多くが東北産のものってことを忘れていた。
各産業の工場が東京や西日本だけにある訳が無いってことを。


ガソリンが売り切れるのは何となく予想していたけれど、米やトイレットペーパー、ミネラルウォーターが買い占められるとは思わなかった。
っていうか飲料水=水道水で十分だと思っていたんで、何でミネラルウォーターじゃなきゃダメなのか分からなかった。
そういえば東京のいとこの家に行ったとき、水道水の水はあまり飲まなかった、とぼんやり思い出した。


初めての計画停電

山梨は、家の倒壊も何にも無かったし、地震による停電やガスの停止もすぐに復旧した。
でも節電のために計画停電が行われる。
みんな頭では分かっているけれど、周囲は日常そのものなのに、約3時間の停電がほぼ毎日ある。
電力があって不自由なし→停電→不自由なし→停電。
そんな、気持ちのギャップ。
停電による生活リズムの崩れ。

いっそのこと、2〜3日丸々停電でいいよ!って思ったことがあるくらい。
被災地に比べれば小さな不満だけれど、そのギャップはかなり身に沁みた。


入院している患者さんたちは、只でさえ不安な毎日を送っていて娯楽がテレビ・ラジオ・新聞しかない。四肢が動かない人なんか特に。でも停電でテレビを観ることが出来なくなったり、映っていてもニュースのみだったため、ストレスが増えてしまった。

バラエティやドラマ、プロ野球など、娯楽やスポーツ番組の大切さを改めて感じた。


そして今。

CMでは「がんばろう日本」と流れる。
mixiでアプリのゲームをやろうと思ったら、画面に最初に出てくるのは義捐金のお願い。


何処に行っても、地震の話題が尽きない。


でも。地震の前も、仕事とか、色んなことで疲れることがあって。
分かっちゃいるんだけれど。

「がんばろう」「がんばろう」って。
いや、今までも頑張っていたし。今も自分の仕事を頑張るし、被災地のために募金もするけれど。


少し休みたい時もある。
人に気を遣わないで、親切な心を取っ払って、人のことを想わないで。


すごくすごく考えた1ヶ月で、すごくすごく疲れた1ヶ月だったように思う。