(一部訂正)

TOKIOカケル。ゲストは光一さん。
昔話に正に花が咲く状態で見ていて楽しかったです。主に4人が騒いで、それを茂さんと光一さんで温かく見ているという図が可愛かったです。
光一さんが「リーダー」呼びするのが好きでね。他グループなのに。そして茂さんの「光ちゃん」呼びも可愛くて好きです。

駅で待ち合わせの話も印象的でした。松岡さんと長瀬さんは新横浜駅で、山口さんと太一さんは池袋駅で。
茂さんはオチで「ひとり」でしたけど、その時の長瀬さんの「ごめんねリーダー、ごめんね」の言い方がとても優しくてぐっときました。
心霊体験話でも、茂さんが六本木合宿所の衣装部屋にて光一さんに金縛り&幽体離脱話をしていたというエピソードでも「真面目に聞いてくれてたんだ」的なことを長瀬さんが言ってて。身内感っていうか、とにかく優しい言い方で。

まあ、茂さんのその幽体離脱してマンションの吹き抜けに落とされそうになったというエピソードそのものが衝撃でした。


合宿所ですが、原宿・六本木・西麻布と3つもあったことに驚きましたが、西麻布の東山さんの家も合宿所と数えると3つってことなんですね。
あと、茂さんが住んでいた衣装部屋が六本木のマンションだったと初めて知りました。以前新聞コラムで話題に出していましたがタワーマンションだったそうで。そして昨日の話で、吹き抜けがあるマンションだったことが分かりました。

つまり合宿所としてキンキや他のジュニアも住んでいただろうに部屋が無かったから衣装部屋で衣装管理していたんですね、茂さん。不憫…!いや今になってみれば面白い話なんですけど。でももう20歳だしね、自分で部屋借りることもできる年齢なのに無料で部屋を提供してくれる事務所って結構太っ腹だと思う。

この一連の合宿所。誰がいつ住んでいたのか時系列を、美男の国からと今までのメンバーの発言(メントレ、5LDK、トキカケなど)から考えてみました。

茂さんは奈良から上京しているので合宿所に完全に住んでいる状態。山口さん、太一さん、松岡さん、長瀬さんは都心と実家とを通える範囲にあったこと、また一緒に駅で待ち合わせしていたという昨日のトキカケの発言からしても、合宿所には時々泊まりに行っているか、たまに実家に帰るなどしていたんじゃないかと。
東山さんのもとで山口さん太一さんが暮らしていた時は、社会勉強ということで完全に住んでいたかもしれません。

所謂「永谷園のおばちゃん」が居た合宿所や、松岡さんが「終わった、と思った」とネタにしているのは原宿の合宿所ですかね。
トキカケでは茂さんが20歳の時に六本木に移っていたとされていました。そうすると原宿合宿所が閉鎖されたのは1990年〜1991年頃のこと(茂さんの誕生日が11月だから)。
でも「中居のかけ算」で1993年の時、つまり茂さんが22歳の時に原宿の交差点で中居さんとの2ショットを撮ってる。それを撮影していたのは山口さん。
もし茂さんが六本木の衣装部屋に居て、山口さんは西麻布に住んでいたとしたらわざわざ二人は原宿には居ないのでは。SMAPがデビューしたのが1991年、この時点ではまだ中居さんは原宿に住んでいたのでしょうか。

であれば、1993年〜1994年に原宿の合宿所は閉鎖されたと思われます。


茂さんの場合。
原宿→中居さんが合宿所を出てしばらくして原宿の合宿所が閉鎖(賃貸だったら契約解除という意味かも)。→22〜23歳の頃には六本木の合宿所内の衣装部屋。→その後は独立
食器洗い事件が原宿時代。もしかしたらデビューした23歳(1994年9月)その時はまだ衣装部屋に居たのかも?

山口さん。
原宿→西麻布(東山さんの家)→独立
社長から電話があって茂さんが電話をとり、「TOKIO」の名前をもらったと話していたのとか、楽器の練習して茂さんがCコード弾いて山口さんに練習促してたのが原宿時代。

太一さん。
原宿→西麻布→独立

松岡さん。
六本木→原宿→西麻布→独立

松岡さんは六本木合宿所のことは知らないと言ってましたが、もし茂さんの証言が合ってれば最初は六本木に出入りしていたのでは。問題児だったから原宿に寄越されたようなんで。
茂さんが栄養失調になったり、腐った水炊き食べてた頃を知っているのは、原宿時代。

長瀬さん。
原宿→西麻布。時々六本木。スイカ事件は西麻布でのことだと思われる。→独立

茂さんが怖い話聞かせて眠れなくなった事件が、原宿時代。

長瀬さんが入所したのが1990年。光一さんが入所したのは1991年。
長瀬さんが原宿に出入りしていたのはほんの1990〜1993年の間?

茂さんや中居さんの話振りからすると最初は稲垣さんが居たりTOKIOメンバが泊まったりしてましたが、原宿合宿所が閉鎖される1年間くらいは完全に二人きりで過ごしていた感じで、他メンバーの出入りも無かったイメージを受けます。
セナの事故シーンを光一さんが見ていて泣いたというエピソードからして1994年5月には長瀬さんは六本木に出入りしていたんですね。


ジパング。キンキの二人とデビュー出来ると思っていた長瀬さん(本当はそこに井ノ原さんもいた)、「先輩より同級生取るでしょ普通!」の言い方がものすごく正直でよかったです。
一瞬寂しかったけど、そりゃそうだわ。山口さんとは7歳差、茂さんとは8歳差。あの方たちのことだから優しく面倒見てくれていたと想像するんですけど、それとデビューとはまた話が違いますしね。
10周年の頃に雑誌で語ってましたけど、先輩より前に出てボーカルやらなければならなかった長瀬さんの苦しみ悩みっていうのは、他のメンバーも皆分かっていて支えてきたんだろうなと。この間のヘイセイジャンプが来た時も、デビュー前にみんなでお好み焼き屋に長瀬さんのために集まったというエピソードからしても。

茂さんが光一さんに「悩み聞いてなかった?」と訪ねてたのが印象的でした。聞き方が優しくてね。オカンっぽいけど、それとはまた違った雰囲気の言葉。

あとはチェスの話。
東山さんの大事にしていた大理石のチェス。それをお尻に挟んでどれだけ飛ばせるかを松岡さんがやっててそれを皆で笑って見ていたというエピソード。
光ちゃんチェスの話知らんて」という茂さんの言い方が可愛かったです。
まるで親戚のおじさんの喋り方。