人が死ぬということについて。
看取るということについて。




医療も発達して、サービスも充実しているからなのか、施設では、多くの超高齢者が体が弱くなっても細く長く生きる場合が多い。
そんな方がたくさんいるから、亡くなることも多い。
これは多分、うちの老健だけでなくて、他でもそうだと思うけど。

去年に引き続き、今年は特にペースが速い気がする。キッカケはやはり肺炎が一番多い。何度肺炎になっても、治って復活する方も多い一方でそのままズルズル行ってしまうことも増えてきている。

大抵の場合が100歳近いから大往生といえばそうなんだけど、昨日体を触れた人が次の日ベッドにいないことを知ると、その日は何もしたくなくなってしまう。
それでも周りはいつも通り生きているし、仕事もするし。
あと、利用者一人亡くなっても、周りの利用者は何も気が付かない。それが切ない。

だんだん、死ぬ方の顔つきが分かるようになってくる。感覚でもあるけど、看護師さんから学んだこともあって。
この方はあと1週間だな、とか。この方は数時間だな、とか。
少しずつ、少しずつ弱っていく姿を見ていく。
肌の色が変わって、頬が痩せて、瞳が段々開かなくなっていく。手を握って、握り返してくれると、ああ良かったと思う。

人が死ぬのは見たくないけれど、人間いつかは終わりを迎えることがあるんだしと言い聞かせる。
看取りケアと普段のケアと何が違うのか。
看取りケアで何ができるのか。特に、言葉をしゃべれなくなってしまっている方に。
答えはまだ出ていない。
せめて、最期の一瞬は一人ぼっちで向こうの世界に行かないようにだけを気を付けたいと思う。