斜陽日記

6月13日に玉川へ、愛人と共に入水自殺し、誕生日である19日に遺体が発見された太宰治

注文していた斜陽日記が桜桃忌に届くというタイミングが何とも図られたような感覚です。

 

太宰治の作品は全部読んだことは無いんですが、数冊読んだ中で一番好きなのが「斜陽」です。発売当初もベストセラーになって「斜陽族」という言葉が生まれたほど有名になった「斜陽」には原作があります。

それが、太宰の愛人である太田静子さんが書いた「斜陽日記」(相模曾我日記)。

このことを知ったのはほんの数日前のことで、最初はショックでした。あと山崎富栄さんの日記の文章も引用されてる?

元になったというよりも、斜陽日記の文面そのまま「斜陽」に使われているらしいと知って斜陽日記を取り寄せることにしました。

 

この文庫本「斜陽日記」には太宰治と太田静子の間に生まれた太田治子さんの文章も載っています。

斜陽日記、静子によるあとがき、治子さんの感想文。

それを3つ読むことで、自分の中ですっと納得出来ました。

 

「斜陽日記」に書かれている箇所で、地名や人名など少し変えただけでほぼそのまま「斜陽」に使われているのは、母娘が別荘へ行くときのエピソード、蛇と卵のシーン、火事のシーン、「お母様」が病になり弱っていく過程を描いたシーンの殆ど、更科日記のくだり、静子が山で労働していたシーン、恋と革命について話しているシーン。

完全に太宰の創作の部分は、冒頭部分(食堂のスープ、花摘み)、直治のシーンほぼ全部、直治の遺書、上原とかず子のシーン、かず子が上原に充てた手紙。

 

完全創作の部分の方が多いんですけど、それにしたって、静子の文面そのまま使ってあるのでビックリです。

平たく言えば「パクリ」なんですが、静子のあとがきを読むとちょっと印象が変わります。「斜陽」は新聞連載作品なので、静子は新聞で、斜陽がどのように書かれているのか知るわけですが、太宰に渡した日記(日記というよりは静子と母が暮らした日々を回想して書いた日記で、小説風に書かれてある)が「斜陽」の役に立っていることに静子は喜んでいたようです。

これが彼女らの恋であり愛の形なんだなぁって思いましたし、治子さんの言葉を読んでいても、太宰と静子を客観的に観ていて、時代特有のものなのか。みんな強い。そう思いました。

一番辛いのは太宰の正妻だったと思うので静子に同情の余地は無いんですけど。妻も子も居ると分かっていて、静子は太宰に近づいたし、心中した山崎富栄も分かっていて太宰と一緒にいたし。そんな富栄について静子は「太宰にお供してくれた」的な表現を使っています。

愛人同士にどんなやりとりがあって感情があったか分からないですが、この書き方が印象に残りました。

 

あと、「斜陽日記」はこれをひとつの作品として純粋に読んでも面白いです。

小説家を目指していた静子なので、文章は読みやすい。というか文体が「斜陽」とほぼ同じ。どっちが似せたのか分からないですが。

第2次世界大戦中にも関わらず、食事や着るものにも困らず(彼女たち自身は困っている様子がありますが、庶民に比べれば貯金がある方)、空襲が来ても緊迫した様子もなく。

東京が焼け野原になる前に銀座へ遊びに行って丸の内のホテルでサンドウィッチを買ってくるとか。

戦争中なのに静子はフランス語を習いに行ったり洋裁を習いに行くなどしています。

山荘では編み物したり、梅の花を見に行ったり、句会を母娘二人っきりで催したり。

とても戦中とは思えない優雅な日々。

豊かさで言うと、ジブリの「風立ちぬ」の堀越二郎が居候で住んでた家の感じに似てました。

日本が無条件降伏するかも、ということも8月15日前には情報が入ってきているので、上流階級の人たちは没落してきているとはいえ、庶民の生活と全然違っていて驚きました。

この「斜陽日記」はつくり物ではなく、当時のことを描いているのでとても貴重だと思います。

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