歴史

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ていて、源平合戦のこと全然分かってなかったのでいろいろ調べています(といってもネットで見るくらいですが)。

有名な壇ノ浦の戦いも「そういえば何で海上で合戦することになったんだっけ?」から始まり。

一の谷の戦いがあって、そのあと屋島へ移り、壇ノ浦に追い込まれた平家。

文字だけ読んでいると想像が足りていなかったですが、そこには武士だけではなく安徳天皇や女御たちもいたわけで、その人たちの食事・睡眠・着替えや清拭とかどうしてたんだろうと考えると、壇ノ浦の船の上で逃げ場が無くなり食事も無い状態で、凄絶な戦いだったんだろうと想像できました。

 

当時のことを書いた吾妻鏡にしても北条に有利なことが書かれているから、どこまで真実でどこまで虚なのか。静御前は本当にいたのか。

安徳天皇が入水したときの女御の有名な台詞「海の底にも都はあります」は本当に言ったのか(そもそもそれを聞いていた人がいないと後世に伝わらない)。

 

この鎌倉幕府の前の時代には、安倍晴明源博雅が生きていた時代があって。博雅が子供の頃に平将門の乱があって。そこから藤原道長が権力を持ち、そして源氏はどうなったか。

 

別の時代のことを取り上げている作品を点と点で結んでいくと面白いです。

 

安倍晴明は逸話が多いので、実際に記録に残っていることを読み進めると面白い。それは岡野先生の受け売りですけど。最近「陰陽師」を読み直して、ようやく最終巻の比丘尼とのあれこれが分かってきました。あと霊剣の修復で、当時の晴明はまだ陰陽寮に勤めている人のひとりであって役職も何も無かったのに何で霊剣修復を任されたのか。

親子関係が特に問題なさそうだったのに賀茂保憲は何故息子よりも晴明を重用していたのか。

技術があったからなのか。でも賀茂家のためだったら息子に権力を集中させた方が良い気もするんですけど。

 

歴史の、実際にあったことの行間を考えるのは面白いです。