映画「関心領域」感想

映画「関心領域」を観に行きました。

 

良かったです。ただ自分が見逃している部分があるので機会があればまた観に行きたい。

 

アウシュビッツ収容所は途中から大規模になるんですが、その少し前の時代を描いたもの。収容所の司令官一家が収容所の隣に住んでいる様子を淡々と、しかし歪に映し出している映画。

 

所謂、日常系。

 

内容は違いますが、何となく「この世界の片隅に」のアウシュビッツ加害者バージョンという感覚を受けました。

 

映画が始まって最初の数分は薄暗く何も映っていない状態が続きます。

これから起きる不穏さを示唆しているようにも思えるし、一家の目には映らないけど被害に遭ったひとたちの苦しみを表現しているようにも見えました。

 

男がリアカーを押して家の使用人に物を渡すシーン。男は収容所の囚人だったのかも。

食べ物のようなものは買ってきたやつなのかなと思ってましたが、毛皮や口紅は囚人から取り上げたものだったことを見終わったあとで気付きました。

 

映画の中で鳥の声や赤ん坊の泣き声、その中に紛れるかのように銃声や人々の叫び声が聞こえます。

 

森を散策にいった父子の周りには収容所の軍人が囚人を引き連れ罵倒しているような光景があるのに、父子の耳に届くのは鳥の声だけ。そこはぞっとしました。

 

家の中の使用人たちに混じってユダヤ人の女性が1~2人出てくるんですが、その人がまるで空気のような存在感で、それも不気味でしたね。

 

途中、不思議な映像が流れました。暗闇に、輝く少女が土の上に林檎を置いて行くシーン。

これは何かのイメージ映像なのか?

見終わったあとで分かったことですが、これは暗視カメラで撮ったのでこういう映像になるそうです。そしてこの少女のモデルは実在していて、収容所の人たちが作業時に見つけて食べられるように林檎を置いていったそうです。

 

ただ、終盤には林檎の取り合いで喧嘩が起き、それを咎められ罰を受けるような様子が流れました。関心を持って彼らを助けようとしても、それが逆効果になってしまう。そんな理不尽さが切なかったです。

 

司令官は淡々と仕事をこなし、妻は戦時中にも関わらずイタリアのスパにまた連れて行って欲しいと夫におねだりしたり、夫の転勤が決まっても、収容所の隣に気付いた自分のお気に入りの家や庭園を手放したくなくて「ここが理想」と言い切ります。

ユダヤ人に対する嫌悪感はほとんど表しませんが、自分の母親が家を出て行ってしまったときだけそのことを口にします。

 

嫌悪があるのにユダヤ人が作った朝食を食べ、夫もユダヤ人の女性を性処理として利用する。その矛盾が不思議でした。

 

子供達は収容所のことを直接言及はしないですが、息子達は仄かに狂気性を帯び始めていて、娘は不安感を持っているような。そんな感じがしました。

 

アウシュビッツの司令官から、各地の収容所のTOPへの昇進が決まったときのパーティで、自分たちの仲間がフロアに居る光景を上から見て「どうやって毒ガスで殺せるか考えていた」という台詞が印象的でした。

これをユダヤ人に対してではなく自分の仲間のドイツ人に対して言っていたのが。

憎いとか仕事が嫌になったとかそういうことではなくて、純粋に、建物の構造からして毒ガス室向きでないことを考えたりとか「職業病」的なものでしょうか。職人としての考えなんですが、言ってる内容は残酷です。

 

仕事を終え、夜の階段を降りていく彼の目の前に、現代のアウシュビッツ収容所が現れます。博物館として今に残る収容所。職員たちが淡々と掃除をしています。自分にはそれもまた怖い映像に見えました。掃除は大事なんですけど、もうここで掃除している人たちは、ガス室も、人を焼いた焼却炉も、慣れてしまっているのではないかと。

 

司令官が観た映像は、アウシュビッツが今後拡大して更なる犠牲者を出す未来だったのかもしれません。勿論、罪悪感などかけらも感じていませんが。

あの嘔吐は、未来からの警告だったのかもしれない、そう思いました。