映画感想(Fukushima50)

「Fukushima50」を観てきました。

良かったです。

後でどっと疲れて、そうですね…じわじわ来る。2011年3月11日のことを振り返って、自分は何も知らなかったことを今知りました。

 

まず映画を観るキッカケについて。

元々この映画の予告やポスターは1ヶ月くらい前に観ていて、そのときの印象は「大声叫んで緊迫感ありのシーン満載?あの事故を美談に描くつもり?」「なんだこのポスター。ださっ。あの事故は完全に終わってないのに爽やかポスター何なの?」でした。

福島の原子力発電所津波がきっかけで事故を起こし、水蒸気爆発し、当時の政府や東電の対応がお粗末だったからどんどん事態は悪化したんでしょ。で、何とか安定して、今は廃炉業務しているんでしょ。はいはい知ってます。

 

と思ってました。

 

しかし、YOUTUBEで守鍬さんの映画レビューを観たのがキッカケでこの映画を観に行ってみようと思いました。何となくのイメージですが、この方がこういう映画観に行くのが意外だったんですよね。その上で絶賛されていて。

この映画を?と疑問に思って。

 

そこで、この映画を美談に書いているんじゃないかという感想に対して「命懸けで戦った人たちの話を美談に書いていいと思う」みたいな返信をされていて、そこでハッとしました。

当時、水蒸気爆発まで起きていたあの原発について何とかコントロールしようと仕事をしていた人たちの人数、職業、どういう状態だったのか、自分は全然知らないな、と。

不手際はあったかもしれないけど、放射能の影響を一番に受ける位置に居たのは彼らでって、その人たちをどうこう言うのってどうなんだと。

 

で、観に行って来ました。

 

日常風景をしばらく描いてから地震、という流れではないです。

開始数秒で地震

聴き慣れた警報。

言い方悪いですがどのホラー映画よりも怖かったです。あくまで自分の感想ですけど、リアルでした。地震の揺れ方、津波も。CGっぽい津波じゃないので「ここで本気出すのか」ってくらいリアルだったんで、この辺りは苦しくなって一旦席を離れました。

 

当時の民主党や総理の描き方については、まあそんな感じだったんだろうなと思うし、とはいえ彼の人は彼の人なりに考えて行動した結果大迷惑なことになってたし、周囲の人も止めようとはしていた描写があったんで、特別悪く描いている感じではなかったです。むしろ、総理だからといって強く助言する人がいない現状が悪いんじゃないのって思います。

 

原発の話に戻って。

よくよく考えたら電気が無い状態なんですよね。仮の電気系統もだめで。発電機を持ってこようにも津波で外は荒れていて瓦礫だらけ。

真っ暗な中で懐中電灯を照らしながらの作業。

トイレも使えない、寝るところもない。

それでも放射能物質を持ち込まないように、汚染されたものはきちんとまとめたり、清潔区間・汚染区間を分けるようにしたり、トイレの掃除をしたり。

働いている人も、原発の職員は東京から来た人だけではなく地元福島の人もたくさんいる。地元の業者も手伝いにくる。自衛隊もいる。

沢山の人たちが、死の危険と戦いながら作業していたということがよく分かりました。

 

ベントについては初めて知りました。

電気が無いから手動でやる。その意味は、死ににいくようなもので。

 

当時はテレビを見ながら、作業はどうなってるのかと思っていたけど、放射能って防護服着ていたって防げるものではないし、現場に居ること自体が異例なんだと思いました。

水蒸気爆発も起きている。その場にいる人たちがいつ亡くなってしまうか分からない。

なんとなく、建物内で作業しているんだから放射能からも爆発からも身は守れているだろうと思ってしまっていました。

 

映画自体は、人間模様や、感動させるようなシーンもあって、ちょっと余計なものもあったけど比較的骨太な物語になっていたと思います。

あくまで映画なのでドラマチックにしているところもあるから「事実」と全く同じわけではないけど。

 

原発が事故を起こした原因。その一番は津波だったと思います。津波の威力を甘く見ていた設計。確かに諸々の不手際はあったにしても、最初に浸水した時点でもうコントロールは難しかったと、あくまで映画を見た中ではそう思いました。

 

誰が悪い、何が悪いっていうよりも、手を尽くした結果がこうだったんだなと。

 

政府も東電本店も原発の現場も。

それぞれの視点でたてば、また違ったものが見えるかもしれません。本店は政府と現場の間に立っているし、現場は「上は何も分かってない」と憤るし、政府は専門的知識がないから右往左往してとにかく原発をコントロールしなきゃと思っていて、でも現場は暗闇の中の作業で死ぬかもしれない状態なのに、他の場所にいる人たちはそれが想像しにくい。

本店と、原発近くに設置された緊急対策本部は互いの映像がモニターに映ってます。でも中操と呼ばれる、原発のコントロールにあたっている最前線の映像はない。だから緊対ですら、現場の様子を肌感覚で感じにくいのかなと思いました。

 

ぐっときたシーンは、暗闇の中ベントを締めに行くところ、写真を撮るところ。福島民報の記者が東電に「福島に未来はあるんですか?」と質問したところ。

 

今でこそ、「未来があった」と分かってるけど。当時は不安だよね。しかも、多分だけど他のところは自分たちの地域のことは心配していても福島のこと心配していない人だっていたんじゃないのかな。放射能汚染は怖いけど、福島のことを心に掛ける人って。

 

2号機の圧力が下がった原因は、当時の当直長さんによると今でもわからないそうです。

 

最後のテロップに五輪のことがあって、それは余計だと思うんですが、もっと大惨事になっていたかもしれない福島が今は一部を除けばふつうの暮らしができるようになりそこで聖火ランナーが走れるってことは、明るい話題でいいじゃないかと思うし。複雑。

 

全てが決着していない状況でこの映画のエンディングをどうするかは難しいとは思います。

決着していないけど復興は進んでいるし、元気な町もある。

 

だから、事故から2年?の時に「今年も桜が咲いたよ」のセリフで終わりでもよかったかなと思いました。

あれ良いシーンでした。

 

帰還区域困難。でも草木は生きてる。そこに希望があると思いました。

 

パンフレットには、この映画を作る上での考えもしっかり書かれてあり、関係者も驚く程原発施設を忠実に再現されていたようですし、買ってよかったと思いました。