2年前のあの日から、TOKIOは4人だと思っていた。
去年茂さんが結婚して、DASHで久々に彼の写真が出たときも、茂さんが墓前で明雄さんについて「6人目のTOKIO」と表現したときも、そりゃ5人目のって言ったら語呂が悪いからな、と思ってた。そう思いたかった。
別に、彼と一生コンタクト取らないで欲しいとまで思わないが、去年出た週刊誌で公園でポーズ取って呑気に取材を受けている姿に怒り呆れしか感じなくて。強制わいせつ罪で起訴されかけててよく公に顔出せるな、と。しかも4人の会見を見ていない、と。
もう呆れ返ってしまった。
過去のTOKIOは5人だった。5人でデビューして24年間走ってきた(時には這いながらも)。
そこからは4人になった。
5人だったTOKIOはあくまで過去。今、そしてこれからは4人。それでいいと思っていた。5人の演奏を聴きたいと思った時期もあった。ところが、時が経つ事にコトの大きさに気づき、彼に嫌悪し、事件後にはしばらく視聴できていたCDやDVDも徐々に視聴できなくなっていった。
長瀬さんボーカルでハモリの少ないものがようやく聴けた。
7月22日。23時過ぎ。
タヒチ。動画だった。太一さんが、神妙な面持ちで、泣きそうな顔で(インタビュー記事からは想像もできない)、「言い忘れましたけど、僕らは4人ではありません。5人です」そう言った。
その瞬間、「まじかよ」と思った。
「TOKIOは5人って言ってくれて嬉しい!」と普通のファンなら狂喜乱舞するところなんだろうが、自分は「まじかよ」と繰り返した。
2年前の会見で松岡さんが「4人のTOKIOを認めてもらえるかどうか」とか言ってたじゃん。
茂さんはCM会見で「4人で頑張っていきます」って言ってたじゃないか。
だから、5人は過去として、4人を応援していこうと思った。7月22日の夜までそう思っていた。
でも分かっていた。彼ときちんとつながりがあるであろうことも、とっくの昔に彼のことを受け入れていたことも。
よくここまで黙っていたね太一さん。地獄のようなビビットでの毎日。嫌がらせのように配置されたメンバーの会見時の巨大写真パネルを蹴り倒したい気持ちで沢山だった。
怒る茂さんに対し太一さんは悲しんでいた。
彼の脱退が決まり、報道熱がようやく収まろうとしていた時のニュースリーダー。
茂さんからは事件当初の怒りは消え、いつもの穏やかな顔でそこにいた。
好きじゃなければあれだけ怒らないだろう。そして、太一さんもまた同じこと。
大切にしてきたから我事のように扱う。
茂さんと二人で始まったTOKIO。途中抜けてダンスTOKIOになりかけたところを茂さんが社長に直談判して彼を戻してバンドTOKIOに戻した。
19歳で出会って、30年苦楽を共にしてきた。
あの事件の報道が夜に駆け巡ったとき、実は翌日には民謡魂の記事が流れる予定だった。
茂さんが彼の故郷である埼玉の草加で三味線デビューする。三味線のことを茂さんはみんなに黙っていた。びっくりするだろうな、と思っていたそうだ。しかも相棒の故郷で。張り切っていた茂さん。なんとも微笑ましい話だ。
30年。子供から成人へ、中年、そして50歳を手前にして。
そう簡単に縁は切れようはずもない。太一さんも、彼との縁は30年ほどある。
何があっても、どんなことになっても、一生TOKIOは5人なんだと。
「1周回って知らない話」で4人のTOKIO物語を見ていた茂さん。一体どんな事を思っていたのだろう。多分、あの表情は覚悟を決めた顔だった。大事なことは言わない。
まさに昼行灯な人だと思う。
今回のタヒチやインタビューで彼らが話す言葉に、「負けたわ」という気分になった。
別に勝負をかけたつもりもないが、自分が勝手に押し付けていた理想が余りにも空虚なものでショックだったし、「TOKIO=5人。TOKIOの音楽と言ったら5人の音」なんだろうというのが長瀬さんのメッセージからも読み取れた。
ラジオで松岡さんは音楽活動しない理由を色々言ってたけど、結局は4人で音楽するつもりがさらさら無いんだろうと思った。4人で作った共同作品はDASHカレー。あれが音楽の代わりだったかもしれない。
じゃあ去年の「SLIDER」で長瀬さんが言っていた「これからもTOKIOの音楽をやっていく」という言葉は何だったんだと。もう一度読み返した。あのときは、このコラムの言葉が支えだった。今までは5人だったけど、4人で音楽やっていくってことだね。ってそう解釈していた。
でも違ったかもしれない。
今読むと、全く意味合いが違う。
「TOKIO4人で音楽やっていく」とどこにも書かれてはいない。TOKIO=5つの音、という意味ならば。その精神をずっと持っていくのか、それを元にしてプライベートの仲間とライブするのか。そういう意味での「TOKIOの音楽」ではないか、と思った。
うまくいかないこともある、それも仕方ない。
なんだか、別れの言葉のように感じた。
別の道に進むけど、TOKIOの魂は持っていく。そんな感じ。
メンバーにさえ「ソロデビューするの?」と思われる長瀬さんだが、本当にバンドが好きで、演奏が上手くてもっとセンスが良い人は沢山いるだろうに、長瀬さんが愛したのは、音楽性も年齢もバラバラの5人バンド。
まだ歌もギターもおぼつかなかった長瀬さんを上二人が支えてデビューし、途中からは太一さんがTOKIOの音楽を牽引した。そして2015年ぐらいからは長瀬さんがTOKIOの音楽を引っ張っていった。個人的にはこんなイメージ。
TOKIO4人がどんなに「5人」をアピールしても、24年積み上げてきたものを汚して25周年ライブを潰した彼を許せないし、今での姿を見たくはない。TOKIO4人の演奏は聴きたいけど「5人の音が聴きたい」とは思わない。
きっとそういう考えは、TOKIOにとって嫌な考えだと思う。
それでも自分は、精神的繋がりはあっても、再び5人揃うことは望んでない。望もうが望んでなかろうが、そんなこと彼らにとってはどうでもいいことなんだろうとは思う。
TOKIOは、メンバー同士向き合えていればそれでいい。
いろんな考え方があるファンの方向なんて見なくていい。
メンバー同士での友情があって、それをファンが眺めてあれこれ考察するくらいでいい。ファンのために~なんて柄でもない。
だから、TOKIOは5人、来年まで音楽活動はしない、と言い切った彼らに「しゃあないわ」である。
ほんとに、あれこれ言ったって仕方ないわ。
来年まであと8ヶ月ある。
正直、長瀬さんのことがあってもなくても、更にいえば2年前の件があってもなくても「TOKIOはいつまで曲出せるんだろう」「売上どんどん落ちてるけど大丈夫なんだろうか」「メンバー間の仲は良いのかな、20周年のときは仲良かったけど。5年もライブしないのは何故?」「彼、どんどん退行しているし涙もろすぎるし病んでるのでは」とか不満も不安もたくさんだったので、良いんだか悪いんだかこういうことがあったからこそ「それぞれの道に行ったとしても一生TOKIO」という有難いお言葉を聞けた。
TOKIOは5人、がショックで「一生TOKIO」が大丈夫なのは何でかは分からないが、とにかくTOKIOはすごい。とんでもない人たち。そしてとてつもなく好きなグループ。
どうでもよいグループだったらこんな気持ちにならない。
どうでもよい人だったらこんなに憤らない。
TOKIOの新曲がまた聴きたかったけど、そう言っておきながらここ数年の長瀬さんプロデュースの曲も、家族を持って優しさ増した太一さんの曲も、どこか完全に響かなくって、「クモ」もようやく最近良い曲だと気付いたくらいで。
結局、バンドが続いたって不満が出てただろうし、この機会にTOKIOの音楽にちゃんと向き合おう。そういう時間にしていきたい。(終わり)
<答え無き日々にありがとう>(「自由な名の下に」より)