救えない命とか救えたはずの命とか、どこかで聞いたような言葉を見る度に、浅はかなこと言ってくれるなよと思ってしまう。
生きてればいいの?
呼吸してればいいの?
それに価値を見出している人もいれば、しかしだって生きていて作業してこそでしょという人もいる。
寝たきりの人でも目でコンピューター操作してコミュニケーションなり絵を描くなり、はたまた遠隔操作でロボットを動かすとか。
意識が無くても、家族の愛情に包まれている人とか。
90代後半で口から食べ物食べれなくて、でも経鼻を拒否していて、家族の願望で胃瘻作ってそれで延命を予定している人。
切ない。
家族は良かれと思っているんだろうけど、ゆっくり最期を迎えさせてあげるのも愛情なんだと気づいて欲しい。部外者の自分は、患者さんの愚痴を聞くしかやってあげられることがない。
糖尿病が悪化して視力低下し、ほぼ全盲状態になった患者さん。
筋力低下なら、関節可動域制限なら、それであれば何とかリハビリで改善できる。
でも視力や聴力はどうにも出来ない(その領域専門のリハビリはあるけど)。
生活もがらっと変わる。
切ない。
彼らは、自殺することすら出来ない。
楽しく生きるには、本人の中で受容が出来ないと前に進めない。
好きなように生きたり好きなように死ねるのは、この世の中で決して当たり前の事じゃないんだなと思える。